風土が変われば→衣食住は変わる。
衣食住が変われば→生活も変わる。
そうして、人はその土地にあったものを組み立て上げていく。
それが、時を経て文化になるのだろうか。
アンニョンハセヨ!(こんにちは)
寒い季節には、唐辛子の沢山入った、アツアツの韓国料理が食べたくなりますね。
もっとも、韓国の唐辛子は日本の唐辛子より辛くないそうです。
色は日本のそれよりも赤いけれど、ピリピリと辛い刺激だけではない、唐辛子本来の甘味も味わえるそうな。
一度、食べ比べてみたいものです。
さて、私の友人に、韓国人の母親を持つ女性がいます。
今回は、その方に正座のお話を伺って参りました。はてさて、どんな対談になったやら……。
つい先日、私は彼女の家を訪ねるため、電車で静岡県まで行ってきた。
彼女の家は、県内でも田舎の方に近い、落ち着いた場所にある。
「静岡はいいな・・・・・・。なんたってお茶の産地だからな」
そんな事を考えながら電車に乗っていた私は、停車する度に田舎になってゆく景色を眺めては、
「お、茶畑だ」
と、ただの田んぼを勘違いして眺めていた。
自然の沢山残っている土地は良い。
何しろ空気が違う。
にごった空気を緑が浄化しているのか、とても澄んだ匂いがする。そして、何か人間に良いエネルギーが溢れているような気さえしてくる。
そんな空気を吸ってしまうと、都会の≪至る所、車だらけ、排気ガスだらけの空気≫なんて、もう吸えないね。
今、それが社会問題になっているわけでもあるのだが……。
そして、緑が沢山見えるホームで深呼吸なんかしてみると、
「自分も人間だなぁ、人間なんだなぁ。そうだ、ヒトの原点は動物だ!」
などと、意味の分からない事を考え始めてしまうから恐ろしい。
とまぁ、草木は、空気も心も浄化してくれる存在である。
そんなこんなで友人と合流し、喫茶店で軽くこれからの予定を立てた後、早速、友人の母親が待っているという自宅へと案内してもらった。
玄関を入り、廊下からチラリと見える居間に目をやると・・・・・・
【出たな!いきなり高麗人参スナック!!!!!】 |
定番だ、韓国といえば。
ですが、何か、新しい文化のカホリがするような気がいたします。
そして、客間へと案内してもらい、飲み物(オレンジジュース)を頂きながら、3人で閑談をし始めた。
私「韓国では、日本の膝を折って座る≪正座≫のようなものは、あるのですか?」
友人の母「ん〜、日本のそういう正座は、韓国の文化には無いわね。でも、立て膝ならあるわよ」
私「立て膝ですか?」
友人の母「そうそう、こんな感じでね、こう、両腕で片膝を抱え込むように座るのよ」
立て膝 |
私「なるほどー!でも、あんまり足がどうなっているかは、分かりませんね。チマ・チョゴリって、上は和服みたいで、下はスカートみたいですよね」
友人の母「そうなのよね。だから立て膝ができるんじゃないかしら。和服だとね、あんまり足とか広げられないものね。私は、これが一番楽な姿勢だと思っているわ」
私「そうですよね、和服だと難しいですよね。だから、日本の正座はあの膝を折りたたんで座る座り方なのでしょうかね」
気になったので聞いてみた。
私「じゃあ、韓国での《正座》は、この立て膝なのでしょうか」
友人の母「そうね、韓国だとこれが《正座》になるかしら」
おぉぉ!そうか!
正座の名前と姿勢に、どうもズレがあると思っていたが、こういうことか。
つまり、正しい座り方とは、その国によって違うのだ。当たり前だが。
だから、和服が日常だった頃の日本の正しい座り方が、あの《膝を折る姿勢》で、韓国では《立て膝》が正座になるのだろう。
確かに、和服には一番楽で、綺麗な姿勢である。
そう考えると、《正座》と呼ばれているのも納得がいく。
座り方が豊富な時代を私が生きてきて、《正座》というのものが、
「正座正座って、何が正しいんだろぉ〜?ねぇ、どこら辺が正しいのぉ〜?痺れる辺り〜?足をクニャッと折りたたむ辺り〜?」
などと、思ったりもしていたが、こいつぁー、言葉にいっぱい食わされた。
言葉だけを考えているとワケが分からなくなってくるが、元を辿って《本質》を見てみれば、案外単純なものなのだ。
人は時として、言葉そのものに縛られてしまうからいけない。
時代や背景が変われば、意味の変わってしまう言葉は沢山ある。正座もその一つなのだろう。
どうやら、私はまだまだ修行が足りないようだ。反省する。
ちなみに、それについて調べてみたら、こう書いてあった。
《韓国でも、日本と同じような正座は男女ともにあるが、それは韓国の正座ではない。韓国の正座は、男性が胡座(あぐら)で、女性は老若に関わらず「片膝立ての座法」である。その際、片方の膝は胡座の形で床に付け、片方の膝を立てて、尻は床に付け、立てた膝の上に両手を乗せる》
余談だが、立て膝は「どちらの膝を立てればいいのか」を友人に訪ねたところ、「特に右足、左足の決まりはない」との事だった。自由だ。
さて、次に、韓国の伝統的な服装、チマ・チョゴリを見せてもらった。
これを見ずして、韓国は語れない!!!(個人的に)
チマ・チョゴリは、《チマ》と《チョゴリ》に言葉が分かれていて、《チマ》が下に穿くもの、《チョゴリ》は上に羽織るものなのだそうだ。
チマ・チョゴリは、今でこそ色が豊富にあるが、昔は《チマ》は濃い色、《チョゴリ》はそれより明るい色を使うのが普通であったそうだ。
早速撮らせて頂きました、これが、現代版チマ・チョゴリだ!
大人用チマ・チョゴリ |
チョゴリが鮮やかである。
白に紫。これは独特で、日本にはあまりないセンスと言えるだろう。国が違うのだから、違って当然なのだが。
私には、これを着た人が、神職に仕えているかのように洗練されて見えてくる。
衣服とは、人間にとって実に大きな存在であるから、不思議だ。
そして、これが友人が幼い頃に着たという、子供用チマ・チョゴリだそうだ。
子供用チマ・チョゴリ |
なんてカラフルなのでしょう。
可愛らしい色彩。
大半の幼い子は、このようなカラフルさがきっと嬉しい事だろう。
幼稚園の頃、お遊戯会でカラフルなタンゴの衣装を身に着けて喜んでいた私なら、きっと気に入ったに違いない。
他にもこの衣装には、肩ヒモ(サスペンダーのようなもの)がついている。
余談だが、チマ・チョゴリのリボンの結び方は、片結びなのが面白いと思った。
ちなみに、男性はパジ・チョゴリというズボンタイプのものがあり、これは夏服なのだそうだ。残念ながら、男性ものは友人宅には無かった模様。
確かに、チマ・チョゴリには、立て膝が一番合っていると思う。
実際に衣装を着て立て膝をして頂いた姿は、凛々しく、そして美しいとさえ思った。
立て膝 |
そして、文化とは、古人の知恵の結晶であるが、それだけに洗練されたものが残るのだな、としみじみと感じたのであった。
立て膝斜め後ろ |
風土が変われば→衣食住は変わる。
衣食住が変われば→生活も変わる。
そうしていく内に、人はその土地にあったものを組み立て上げていく。
自国を振り返れば、確かに日本もそうやって築き上げられてきた。
これからもどんどん、築き上げられていくのだろう。
全ての事実を巻き込んで、成長していくのだろう。
さて、日本をより深く知るには、いわずもがな今回のように外国のようすを知ることも必要である。
実際に、韓国の生活の一部をみせてもらっただけでも、かなり考えさせられた。
ということで、人間関係から始まり、よりグローバルな視野を広げるために、世界共通、笑顔で挨拶!
これが海外でもスムーズにできれば、友好な関係が築けるかも!?
それでは、今回はこの辺で、カタカナで表すとなんだか分からない事になるけれど、
トマンナヨ!(また会いましょうね)