日本正座協会


連載コラム


[ホーム] [連載コラム]

第6話 お忘さん


執筆者:そうな


 本格的な夏がやってきた。
アブラゼミが大合唱を始め、

「今年も変わらず、暑い夏がやってきたよ」

と、教えてくれる。
それはまるで、彼らが運んできたかのように・・・・・・。




さて、8月といえば、お盆の季節でもある。
お盆・・・・・・私は、幼い頃から何度も墓参りに行ったにもかかわらず、

「お盆って何だ」

と、耳にする度に思っていた。
だから、お盆で帰省する時も、

「何でオボンだと帰るんだろう」

と、思っていた。
多分、食器などを運ぶお盆だと思っていたのだろう。


 そうそう、ここに面白い話がある。
私の父親から聞いた話だ。
10年ほど前の祖母の初盆を、お寺でした時の事である。
その日は、夏の中でも一際暑く、セミの鳴き声も耳に入らなかったほどであった。
方々から親戚がワラワラと集まり、挨拶を交わし、寺に入る。
お坊さんがシナシナと来て、読経を始めた。
みんな座布団に正座をして、かしこまっている。
勿論、クーラーなどは無い。
目を閉じて、静寂をまとう。
読経と虫の声だけが奏でるひと時は、夏というものを静かに実感できる時間でもあった。

 だが、それも余裕がある時だけである。
知っている人は知っている。
正座の陰に、ドラマあり、である。

まず、お坊さんについてだが、私はこう聞いたことがある。
1.お坊さんが木魚を叩いているのは、眠気覚ましの意味もある。
2.お坊さんが半腰をあげて経文を取り替えたり、リンを鳴らしたりするのは、痺れなくするためでもある。
また、読経の終わり頃に、何度か床にひれ伏さんばかりのお辞儀をするが、参列者によると、足を浮かせているんじゃないか、という話である。

なるほど。
確かに、そうしていれば痺れる事も眠くなることも、殆ど無いかもしれない。
いつか、お寺に行って実際にインタビューしてみたいものである。

「本当のとこ、どうなんだい?」

と。(コラ)


 そういうわけで、取り仕切る立場の人の状態はこうだろうと推測する。
そして肝心なのは、実際にその場で正座をしている人たちであろう。
大概のお坊さんは、


「どうぞ、姿勢を楽にしてください」


と、言ってくれる。
昨年の祖父の初盆を取り仕切ってくれたお坊さんも、そう言ってくれた。

そう。
これは良い方、世界は丸く収まる。
しかし、それが無かったらどうだろう。
いや、実際にそれを言われなかった時があったのだ。
それが、さっきの祖母の時である。
お坊さんが何も言わない・・・・・・。
その、忘れてしまったという何気ない出来事が、《我慢大会のゴング》を鳴らす。

いつも法要等を行う場所は、山に囲まれた昔からある小さなお寺である。
緑が濃く綺麗だが、しきたりもまた濃い気もする。
そんな場所で、正座をし、「楽にしてください」の一言が無ければ、みんなは律儀に正座を守る。
なぜ、こんなにもけなげなのか。
喚くわけでもなく、文句を言うわけでもなく、ただ、ひたすらにその正座を守る。
その場の空気を守っているのだろうか。
仏様やご先祖様に敬意を払っているのだろうか。
色々あるが、何にせよ、ただ、ひたすらに正座を守る。
・・・・・・そして、次の一言で事態は一変する。

「では、ご焼香をお願いします」

喪主が立つ。焼香をする。
その妻が立ち、親戚も次々と立っていく・・・・・・はずが・・・・・・。

《人がぐにゃりぐにゃりと崩れていく》

っちょ・・・・・・。
痺れを切らすとはこの事だろうか。
焼香をしようと座布団から立ち上がろうとした人が、次々と崩れていくではないか。
その光景は異様だったに違いない。
一人、また一人、いい年をした大人が「ぅわぁ」「ぅあぁ」と無残にも崩れていくのだ。
実は、笑い事では無いのだが、何かこの場面は《悲劇は喜劇》だと感じさせてしまうようである。
なぜなら、おごそかに焼香をしようと立ち上がろうとした人が、次々に変に崩れていくのだ。しかも、痛いともなんとも言えない顔をして。
それは、四つんばいだったり、全く違う方向に「おっとととと」と慌ただしい動きで走り出してしまったりと、様々だ。自分の足の感覚ではないからだろう。
とりあえず、「一体どこに行こうというのかね」と、笑い出したい気もするが、そこは初盆、笑いたくても笑えないという我慢がある。
上げる声も悲鳴ではない。うめき声というより、「あ〜ちちちちっ」のような意味不明なものだ。中には、「・・・・・・お先にどうぞ」などと、痛々しい笑顔を作って譲る者もいる。
しかし、断っておくが、本人はいたって真剣である。
はてさて、どうしたものでしょう。

 ところで、祖母の初盆には、勿論私も参列していた。
しかし、幼かったこともあり、周りの状況までそんなに目をやらなかったらしい。
だから、漠然としか覚えていなかった。
多分、今は周りを笑っている私だが、きっと痺れと戦っていたと思う。


 話は今年の事に移るが、お坊さんは見るからにダブダブの足袋に、足を動かしても分からないような裾の豊かな袈裟をまとっている。
参列者からは、どのような足の動きをしているのかが全く見えない。
お坊さんが痺れて崩れたところは、参列者としては見たことが無い。
これは、きっとこの服装に秘策があるに違いない。
そう思って、今年のお盆の檀家の集まりでは、服装や仕草に注目していた。


「正座をすると、我慢強くなれる」
そういう言葉を聞いたことがある。
確かに、そうかもしれない。
特に、最近は、我慢が出来なくなった人が増えている、と耳にする。
それについては、毎日のように報道される事件が、物語っているんじゃないかと思う。

そうだ、正座をしよう。
させられる、しかも痛い正座なんかとは違った、そう、自主的な正座を。
そして、痛みと痺れをこらえて、ついでに笑いもこらえよう。
だが、この初盆の状況を思い出すと、我慢のしすぎもどうかと思ってしまうのであった。