日本正座協会


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第7話 にほんの箸からこんにちは


執筆者:そうな


 《流行》という言葉があるように、時代はとめどなく流れてゆく。
それより早くか遅れてか、私たちの生活もまた、変化していくのだろう。

 私自身が日本人だからか、日本人の生活や考え方は、日々グローバル化してきていると感じる。
そんな中で、最近気になるものがある。

「洋食レストラン」

いきなり書き放ったが、別に、特に洋食が好きだというのではない。
私が幼い頃は、洋食レストランといえば、使うものはもっぱらカトラリー(ナイフとフォーク、スプーンなどの食卓上で使う金物類)であった。それ以外のモノは見たことがなかった。
しかし最近になって、私の外食が増えたからか、ある事に気がついた。


 先日、私が友人とハンバーグ店に行った時の事だ。
ハンバーグを注文し、暫くの間友人とのお喋りに夢中になっていた。
暇人は何かをいじる。喋りながらも立てかけてあるメニューをわざわざ揃えたり、コップからしたたった水を紙ナプキンで拭いたりと、せわしない。
そう、《限られた暇》は、忙しいのである。でも今は、そんな事はどうでもいい。 物をいじっている手が、メニュー横の細長い小箱に伸びた。
箱を開け、何が入っているのかをただ見る。なぜ見るのか。暇人だからである。 そこには箸が入っていた。
暇人は、何だ箸か、と格別驚くでも気に留めるでもなく、その箱を閉めた。 ハンバーグが運ばれてくる。
良い匂いがしている。
これは是非、熱い内に食べなければ、と友人といそいそと支度を始める。 食べる道具を探し、再び箱を開ける。
さっきも見たが、当たり前のように箸が入っていた。
そして、私はここで初めて気づく。

「なぜ、ここに箸があるのだ」

しかも、割り箸などではなく、普段家庭で使っているような、洗えば何回でも使える、《環境にやさしい箸》である。
その箸の入った箱をしげしげと眺めていると、友人は言った。

「なんかここ、箸なんだよね」

そうか。
その一言で、私たちは楽しく食事を始めた。


 箸でハンバーグを食べる時代がきたのか。いや、その食べ方は嫌いではない。それもいいじゃないか、と思っている。
特に、お年寄りやナイフやフォークが嫌いな人は、気軽に食べられて良いだろう。箸好きの人にも良いかもしれない。
カトラリーの類と違ってあまり目立ちこそしないが、箸は結構万能である。


 このように、箸の使い方に限らず、食べ物自体も日本風にアレンジされている。洋風、中華料理、フランス料理辺りが一番多いだろうか。
「日本人の味覚は《うま味》などに敏感だから」という事もあるだろうし、「こんな味があったらな」や「この方が食べやすいと思う」などのニーズもあるだろう。また、一部の商品にはマヨラーのみなさんの力が働いていたりするそうだ。
現に、フランスの会社が発行しているヨーロッパの旅行案内書ミシュランの日本の店には、☆マークが沢山ついている。洋食や和食などの創作料理に、日本の繊細な技や応対、雰囲気などの感覚が素晴らしいと、世界に《認められた証》なのだ。

 食べ物以外の場合も、もちろん沢山ある。
例えば、中国のレンゲ説についても、「実は中国人はレンゲを使わない」、「いや、実は使う」「実はアレは、赤ん坊が使うものだ」などと言われているが、現在の日本では、レンゲ以外にも箸やスプーン、フォークなど、好きなもので食べることができている。
何も、あの国のものは絶対にこれを使わなきゃいけないという事はないだろう。

 仮に、そういう人がいたとする。
「洋食レストランであれば、どんな料理であれ、カトラリーのみをきっちり使い分ける」
なるほど。それは一つのマナーとしてはいいかもしれない。
椅子に座り背筋を伸ばし、優雅に食べ物を口に運ぶ、きらびやかな様子が目に浮かぶようである。
しかし、ファミリーレストランなど、気軽に多国籍料理を楽しめる場では、堅苦しくなってしまうかもしれない。
もしかしたら、洋食レストランなのに、チャーハンが出てくるかもしれない。 特にお子様ランチなどは、色んな種類が乗っていて、混沌としているじゃないか。 しかも、チャーハンの上には旗が立っている。
洋食のマナーは、基本的に皿の上の食べ物を手でつかまない。
そうすると、次のようなことになる。
子供は父親を見た。
父親は黙ってフォークを見た。
子供はフォークを掴み、慣れない手つきで旗を取ろうとする。
そんな時の旗に限って、いやにクルクルヒラヒラして「私を捕まえてごらん」とばかりにフォークの間をすり抜ける。なんてもどかしい。
そろそろ料理の冷める頃だ。
父親も、お前はフォークも上手く使えないのか、とイライラしてくる。
そんな時、隣のテーブルに一部始終を見ていたおせっかいな人が居たら、言うだろう。

「あーあー、そんなの、もう手で取っちゃいなさい」


それでは、次の事はどうだろうか。
「インド料理であれば、物を使わず手で食べる」
特にカレーだ。
ナンがあれば、それをカレーにつけて食べられる。
そこまではいい。普段から、パンは手でちぎって食べているから。
しかし、パンではなくライスだったらどうだろう。
普段、日本人はお米を箸で食べている。
それが、手づかみに変わるのだ。
寿司も手づかみじゃないか、と言われればそれはそうなのだが、硬さが違うじゃないか。それに、手づかみは江戸時代の屋台の名残で、本当は箸を使うのがテーブルマナーだとも聞いたことがある。
更に、寿司は固まりだが、カレーをつけたライスは、いわゆるおじや状態である。しかも、大体本場のカレーはサラサラであるから、なお更持ちにくい。

でも、それでもいいのだ。
そうやって食べたい人は食べればいいし、むしろ現地の人と同じ食べ方をすれば、それなりに異文化の心も加わって良いスパイスになるかもしれない。
その食べ方を否定したいわけではない。
じゃあ、何を言いたいのかというと・・・・・・。
べたつくじゃないか。
匂いが取れないじゃないか。
いつもやっている食べ方ではないから、何か爪の間に入るかもしれない。
ボトボトこぼすかもしれない。
得意げに頬張ったはいいが、慣れない手つきでべちゃべちゃこぼし、悲惨なことになるかもしれない。

 国によってその国特有の食べ方がある事は知っている。
しかし、だからといって私たちは、その国の食べ物に対して、同じ食べ方をしてはいない。
つまり、それが、日本流なのだ。
ポテトチップスが、ワサビ味やしょうゆ味であろうが、中華料理では食べにくいというレンゲを使って食べようが、それでいいのだ。
それがおかしいといわれれば、日本料理は食べたことがあるのに、箸は持てないという外国人と同じだろう。


 世界中の国には、やはり独自のカラーがある。
自分が日本という国に生まれ育っているからか、普段はあまり気がつかない。
しかし、よくよく見てみると、日本にも他国と同じように、いや、それ以上かもしれない日本特有のカラーがあるのだ。
そして、そのカラーは自分たち一人一人が彩っている。
決して、「国のエライ誰か」などが彩っているという、ワケの分からない話ではないのだ。
国=私たちの色の結果なのである。
考えてみて、しみじみと思った。
当たり前だが、他の国があるからこそ、自国が見えてくるのだ。
《外国かぶれ》という言葉もあるが、それはそれでいい気がしてきた。外から見て、改めて日本の良さが分かったりするのも、それだと思うからである。もし、その日本の良さに気づいたら、是非とも積極的に指摘し、広めていって欲しいものだ。
海外からの旅行者は、日本の秋葉原を目指してくる人も多いと聞く。秋葉原がもう少し整備され、日本の代表する観光地になるのも素敵な事だと思う。

 これからは、日本のレストラン始め、日本人の意識も、もっともっと個性的に変わっていくのだろうな。
そういえば、最近では、コーヒー専門店があるように「日本茶専門」の喫茶店があるそうだ。
それなら、いっそ日本回帰の方向は、どうだろう。
時代劇に出てくるような茶屋で、お茶を頼み・・・・・・お団子が出てきて・・・・・・顔を上げると桜がハラハラ・・・・・・。
嗚呼、なんて優美なのでしょう。
これはこれで、季節も楽しめそうである。

普通の喫茶店の殆どが、テーブルに椅子である。
たまに外で足を伸ばしたり正座をしたくなったりした時は、お座敷のある食事処等探さなくてはならない。
だから、私は思っているのだ。
その内、洋食レストランやちょっとした喫茶店にも、正座専用ができるだろうな、という事を。
つまるところ、気軽に正座ができる《和室喫茶》である。
いいじゃないか、《和室喫茶》。
正座好きにとっては、これは《正座喫茶》でもあると言えよう。
さぁ、喫茶店でも正座ができる時代がくるのだ。
世代の限定なんか無い。老若男女、寄って来い、だ。
仕事帰りのお疲れ時も、足を伸ばしてのびのびとリラックスできるのだ。
なんだか、ほんわか和んでいいなぁ。
実は、中高年だけじゃなく、今の若者もこういうものを求めているのだろうな。
今は日常から殆ど消えてしまった、日本の優しい雰囲気の茶の間をさ。